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琴浦さん #1 「琴浦さんと真鍋くん」いやぁ~、身につまされますなぁ。
皆もみようぜ!真鍋君まじイケメン、やだ~、ほれてまうわ~。
なんつ~か、人間として、かくありたいよね。
自分に素直に、人に優しく、明るく楽しく、前向きに生きて行きたいよね。
例えば、イイ人ばかりの世界があったとして、そこに諍いが生まれないかっていうと、そうじゃない。
相手の事を想うあまりに、あるいはモノの弾みで、意図せず傷つけてしまうことだってある。
ぱぉ~ん!そこでだ。
私の知っている中で一番イイ人の話(耳タコの人もいるだろ~けどもw)をしよう。
私の父親の友人で、その人の子どもになりたいって本気で思ったくらいに好きだったけど、でも迷惑になるから諦めた。(その頃からもう、賢しい子供だったんだなぁ。もっとゴネてもよかったのにw)
別に何がどうということもない、ぱっと見は普通の人、でも、子供の直感で、分かってしまったんだと思う。
その人はイイ人だった。間違いなく。でも、イイ人すぎた。だから、長生きできなかった。
目の前で溺れているおじいさんを助けようとして、自分が溺れて死んでしまった。
世の中は理不尽だ。その人は小さな子供と奥さんを残して逝ってしまって、私も、皆も、いっぱい泣いてたし、悲しかったお葬式。溺死体っていうのは酷い状態で、最後に顔も見られなかった。
イイ人がイイ人だったからこそ、悲しい目に遭ってしまうような。現実はそういう風に出来ている。
小さな私が知ったのは、そんな現実の残酷さだけじゃなく、その人のようなイイ人がこの世に確かにいたのだという希望だった。
老い先短い人よりも、家族を支えなきゃいけない自分自身を大事にすべきだったというのは正論だ。
残された家族とは以前よりも疎遠になってしまったし、いっぱい苦労をしたのだと聞いた。
それでも、仕方が無いじゃないか。だってきっと、咄嗟に身体が動いてしまったんだから。だって仕方ない、イイ人だったんだもん。運が悪かったんだもん。別に死にたくて死んだんじゃないんだもん。
まあ、そんなもんだよね。
だから、どうせならイイ人になりたい。・・・そう、イイ人になりたかった。
最初から悪人になりたい人なんて、ほとんどいない。
まあ人生色々あるからね。しょうがないね。
私は自殺しちゃうほど純粋だったり弱かったり善人だったりする訳じゃなく、適度に鈍感で、めんどくさがりで、ちゃらんぽらんな人間だ。
まあまあ適度に、普通の範疇だと自分では思っているのだけれど、傍から見るとただの変人らしい。
すぐに笑いに走って、不謹慎だと怒られる。
打たれ弱いし、サボり魔だし、飽き性だし、時間にルーズだし、潔癖症だし、テロリストだし、まあ碌な人間じゃないのかもしれない。
汗に濡れた練習用レオタード(エメラルドグリーンでローレグで半袖丸首の奴ね!)に浮かぶパンツのラインにときめき、その下の柔らかく火照ったお尻を想像しつつ、体臭を嗅ぎながら、洗い晒しの滑らかな生地に頬ずりした~いという欲望に抗えないド変態なのも確かだ。
そして、物凄く人間性がねじ曲がっている。ひねくれものの、めんどくさい奴だ。
どのようにそんな人間性が形作られたかについては、長文作成マシーンの私の手にかかれば物凄い分量になることが目に見えているので、なるべく簡潔にいえば、はじめに家庭内暴力の問題があった為だろう。
(えっ、変態なのは父親譲りだと思うなぁw)
完璧な親なんていないし、理想の家庭なんて存在しない筈なのに、カーチャンはそんなことが分からない人間だった(完璧主義者なんだよね、間違いなくその血は私にも受け継がれている!)から、悩み、苦しみ、そして暴力を振るってしまった。肉体的なものだけでなく、精神的にも、子供達や夫を傷つけたのは、彼女が弱い人間だったからだ。普段明るく振る舞いながらも、心の中では家族を信じることも、愛することもできない自分に絶望していた。
今でも変わらないのだけども、私はその心が分かってしまった。
その表面的な感情の色が見えた。
ああ、カーチャンは私の事を本当は好きになれないんだ・・・それがきっと始まりなんだと思う。
まあ、人は大なり小なり「見える」力が備わっているものなんだろう。
目が曇っていれば、敢えて目を瞑れば、見なかった振りをすれば、もしかして見えないこともあるかもしれない。見間違う事もあるだろう。心を読まれない様にする演技が上手過ぎて、誰にも見破れないようなことだってある。でも、お互いが心の底から素直に分かり合おうとすれば、ある程度は分かる筈だ。
きっと、イイ人なら、その次にどうすればいいか、どうすることが正しいのかが直感的に分かるんじゃないかなんて都合のいいことを考えてしまうけれど、何がその人をイイ人たらしめるのかという前提が既に歪んだ人間には分からないのだ。
表面的に真似をしても、絶対に到達できない。けれどきっと、努力すればそれに近付くことができる。
傷つくことを恐れない勇気と。傷ついても立ち上がる逞しさ、そして人を自分と同じ様に大切にする誠実さ。
本当は、何が正しいかなんて決まってるのかもしれないけれど、全て正解を選んで生きていくことはとても困難だ。
例えば、どんなに酷い言葉を浴びせられても、愛したくても愛せなくて苦しんでいる母親を救うには、私から彼女を愛せばよかったのだ。心から、彼女の想いを聞いてやり、抱きしめてあげればよかった。
彼女が泣きながら自分の罪を悔い、私を抱きしめた時、心から許してやればよかったのだ。
うん、歪みつつも鈍感に育ってしまった私は、彼女の打算や自己愛が透けて見えて、表面上でしか彼女を許すことができなかった。そんなことをする位なら、本心から怒りをぶつけた方がまだマシだったのに。
夜中に下らん自己満足で人を起こしやがって、めんどくせ~奴やなぁコイツ。泣いて謝れば全部許してもらえるんやったら、警察いらんわ。アホちゃうか。「ぅわ~ん、おかぁさ~ん!」はあ、白々しい。つ~かはよぉ寝かせろや、いつまでも泣いとったらタダでさえむくんどる顔がパタリロるやないか。
・・・(アカン)
そんなこんなで屈折してもうた人間、そう上手くコミュれる筈がなかった。
最初はええ顔して、道化やって、仲間になれても・・・自分の正義を押し付けて、人を傷つけて、自分も傷ついて、結局一人に戻ってしまう。
そこで、題の「傷ついたレコードが同じところを繰り返し再生してしまうように、傷つくと分かっているのに同じ愚行を繰り返してしまう」という現象についてや。
今回のテロは、実は、何度か似たようなことを仕出かしたことがある、と白状するのがこの記事の目的や。
ワイはアホやねん!ということやw
何故そこまで、私はコミュニティを破壊してしまうのか。
なんでもっと上手い事やれへんねん!って怒られたら、私の根性が歪んどるからしゃ~ないって開き直るしかあらへんねん。ほんま、スマンな。
まず根本的に、自分自身の幸福を追求することができない、破滅的な人間であるということ。
単純に、我慢が効かないせいでもある。
人間不信ということは、自己評価も低いということでもある。
誰の事も愛する資格が無いと思っている。
完璧主義、潔癖すぎるために、自分にも他人の中にも、潜んでいる欠陥を見つけようとして目を凝らしているいやらしさが、自分でも嫌いだ(子供に絵本を読んでくれる父親の、些細な読み間違いを指摘しつづける無神経な子供のまま育ってしまった)。
人を観察し、その表面的な感情の動きや行動の理由が分かっても、その力の使いどころを間違ってるのだ。
「オマエ、それはアカンでしょ」と突っ込む位ならばまだいい。しかし程度によるのだ。
表面的な人付き合いに終始し、好きでも無いのに、相手の望むように振る舞うことで(接待やな)ご機嫌を取るのは一見悪いことではないように思えるが、結果として相手を増長させ、勘違いさせ、その暴走を引き起こすまで行ってしまうのはやり過ぎだ。
自分への評価が低く、自分への好意に鈍感だから、致命的な領域まで踏み込まれないとその危機に気付くことすらできない。
例えば性欲とか自己顕示欲、独占欲、偽善や逃避などの自己中心的なものの考え方には目敏く気付き、嫌悪を感じても、純粋な好意であればそれだけ、可能性に気付いているくせに、理解の外に投げ捨ててしまう。
素直じゃなかったあいつらに対して、最後にちょっと素直になってみようか。
もしもあの時、欠点も含めて丸ごと好きになってくれたなら、或いは、欠点を見た上で、それでも好きだと言ってくれたなら、いくら私でもきっと素直に喜べたと思うよ。
ハナから信用せんで悪かったな。
まあ、どの道「無理」やけどなwwwwいやwwwほんま無理やからマジでwwww堪忍してぇ~wwwあのさぁ、眼鏡屋行って度を合わせてもらってから鏡みてみなよwww
(↑ 素で酷い人の例。イイ子は真似しちゃいけませんよ!)
私の書く文章が露悪的である(自分自身に対してさえ)というのは、無意識でそうなってしまうのだ。
自分にも他人にも、完璧さを求め、ほんの少しの過ちを取り出して非難する。そして、あったはずの綺麗なものさえも貶める。それは誰にとっても耐えがたく、酷い行為だ。
それを知っているからこそ、あの時の私は、相手を傷つけ、その結果として私をも破壊するような強烈な「悪意」を抱きつつ、沈黙したのだ。
これまでの破壊行動で、自分の身さえ危うくなると学習した為である。でももう、手遅れに過ぎた。
そして一番大事なことを忘れていた。
私はイイ人になりたかったけど、なれなかった人だということを。
いつか必ず、我慢の限界が来るということを、そして、私が彼らに対して「イイ人」の振りをしていたことさえ忘れていた。許していないくせに、許した振りをして、見栄を張って・・・ほんの少しの切っ掛けで「憎悪」が決壊し、そして全てを破壊するまで・・・。
賢しさが、暴力をより致命的なまでに強くしてしまった。
ペンは剣よりも強しというが、肉体的な暴力よりも、告発文のほうがより致命的なダメージを人に与えることだってある、そういうことは分かっていたのに、どのようにすれば致命的なダメージを与えられるかペンを研ぎ澄ますことに執心し、衝動に身を任せ、自分を抑えられなかったのはひとえに私の未熟さが原因である。
会社を辞める際にカタストロフを引き起こさなかったのは(何度か寸前までいったけど)、己が成長した為でなく、その機会を逸し、不利を悟っての戦略的撤退でしかなかったのだと思い知らされた。
今回私が非難した人たちは(私も含め)本来、それほど悪い人間ではなかった筈だ。
皆それぞれ悪いところがあり、いいところもあった。もっといえば、全員、ダメな種類の人間ではあったw
三人寄れば文殊の知恵、といきたかったところだが、呉越同舟、というよりも、お互いのダメさが妙な具合に作用して、強烈な破滅をもたらした。(え、お前がいうなって?うん、分かってるからタチが悪いよね)
悪いところを取り出して、良いところを全部打ち消して、偽善だと、私利私欲だと詰る。それも微に入り細に入り、反論できぬよう先回りして。
そういうところが、親をして「お前は冷たい、人間じゃない」と言わしめるような、酷く攻撃的な部分である。
そして、弱さの裏返しだ。弱い犬程よく吠えるというヤツである。まあ、こういうタイプの人間にはあまり同情する必要はない。自殺なんてするようなタマじゃ~ないからだ。そんな事をするくらいなら、全部破壊してでも、自分の身を守ろうとするものである。・・・おっと、無意識にまた自虐してやんの^^;
・・・じゃなくて、これも、それ程悪い事じゃないのだ。酷い事ではあるけど、ガキ臭いけど、普通のことなのだ。
でも、いつまでも繰り返していてはいけない。反省している。ほんと、ごめんなさい。
私自身が歪んだ人間であることは、自分がそうした為であり、他の誰にも責任がないのに。
癇癪、八つ当たりなんて、大人のやるようなことではない。もう三十を超えたというのに、情けない。
えっ、賢者タイムなんだろって?あはは~そうかもしんない。はずかC。いやぁ、スッキリしてもうてんやろね。
(本来、人はイイ人で在りたいということすら利用するなんて、この外道!悪鬼!羅刹!畜生!人間失格だよ。とか自分で先回りしてるけど、指摘されたら胃が気持ち悪くなる程度には貧弱やねん^^;救えねェやっちゃ)
感動したんよ「琴浦さん」実際、めっちゃ泣いたし、何度も見てしまったしな。
そんでもって、色んな人から励ましてもらって、有難くももったいなくて、いっぱい泣いたな。
(かばってもらうのはまあ嬉しいねんけど、居心地悪いねん。ええ人間ちゃうし、屈折しとるから、責められたい気持ちもあんねん。適度にな。ドMとちゃうで。しっかし、ほんまめんどい奴っちゃで。)
そんで、そんな酷い顔のままスーパーで半額焼きそば買って、レジのおばちゃんに別持ち用の袋をわざわざ後から持ってきてもらってな。チーンしながら、危なくまた泣きそうになってもうたな。
そういうことで、記憶力が悪い人間やけど、覚えとかなあかんって思ったんよ。
だから、書いとこうと思ったんや。忘れても、思い出せるようにな。
世の中には優しい人間がちゃんとおるってこと。
自分一人でなんでもできるって思わんと、頼っていい人も、それで上手くいく場合もちゃんとあるんやって。ほんま悪い事したわ。
急ぎすぎんと、落ち着いて、よく考えるということ。カッとなったら深呼吸や。テロを最終手段と思いこまないこと。そういうのは異常者の危険思想やで。
溜め込み過ぎないこと。全部いうたら人殺しになってしまうし、気分悪いやろうから程々にせんといかんけど、ガス抜きは少しずつ適度にやっとかなあかん。この「程度」の見極めが難しいねんけどな。
もっと難しいことは、自分の価値を肯定すること。ちゃんと正当に、客観的に評価すること。他人にどう見えるか、悪い事だけじゃなく、イイことも勘定すること。悪く言えば頑固、そやけど、よく言えば意思が強い、みたいな奴やな。
完璧主義とか潔癖なのも程々にして、一番大事な部分を見誤らんようにすること。誤字脱字のレベルじゃなく、もっと広い視野を持つ。大義をみつめられるようにしよう。そう、モノを見る目はあるんやから、否定的になり過ぎるのは視野を狭めて勿体ないって、知ってる筈やからな。それを現実の人間関係にも当てはめるということ。
恋愛感情(笑)についてもっと真剣に勉強すること。BL読んで「なにこれwwwきめぇwww」と笑うのは勉強のうちに入りません!根本的に理解できないとしても、理屈くらいは学んでおくこと。そして、ちゃんと実地で生かすこと。上手い振り方、かわし方とかな。サブヒロインが自然消滅してまうハーレム系萌えマンガは都合良すぎるからアカンで。自力でなんとかすることを想定するんや。
よっしゃ、思いついたらその度に書きこんどこう。そんで何度も読み直したらきっと、少しはマシに生きられるんとちがうやろか。そんなことを今回の自爆テロで学んだような気がしたところで今回は〆ますです。
あのさぁ・・・
いくら素晴らしい衣装がうpされてたからってさぁ、何作っちゃってんの?
マジで反省してんの?
強引に新体操ネタ搦めてもさあ、ドン引きされるだけだって分かってんの?ああ?
・・・ぃぇ~ぃ!だって、衝動が抑えられなかt(ry
※1/18追記・修正
この記事において勝手にMODDERさんの名前を出してしまい申し訳ありませんでした。
本記事に記載しておりました名前は本人の許可を取っておらず、また、意思に沿うものではありませんでした。
ここに謹んでお詫び申し上げますとともに、今後の記事投稿においては細心の注意を払うことをちっ・・・お約束・・・します。努めます。頑張ります。反省しました・・・ごめんんさい。
ご迷惑をかけた皆様には個人的にお詫びをします。ほんとうに申し訳ありませんでした!
- 2013/01/16(水) 18:51:52|
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最近また池山田せんせいの漫画がタイトルで話題になっていましたが、まだまだ発展途上の新作はあとまわしにして、タイトルをずっと勘違いしていたもひろん先生の新刊にいきましょう。
さて、色々間違っている「もちがって」る本作のテーマは久しぶりの世直し。
もひろん先生は「なるたる」「ぼくらの」で有名ですが、今は「のりりん」という自転車漫画のほうが売れているのかも。勿論わたしは「もちがって」る本作のほうが好きです。
世の中馬鹿ばっかりだから、悪い奴は死ね!いやコロス。そう、アホの子が叫ぶのです。世直しのために。
世の中が正しければ、間違った悲劇は起こらなかったのに・・・と。
子供たちの力は小さく、やれることにもおのずと限界がある。それでも正義を行使することを諦めない。
目の前でポイ捨てするような大人には正義の鉄槌を下さなければならない。例え、計画性がなく、顔を見られても・・・得体の知れないサイコメトラーを頼っても・・・血の痕を追い、鉄扉を開け、止めを差すのだ。例え、素手でドアノブに触れて、指紋が残り、警察の捜査が及ぼうとも、慌てず騒がず、日常の終焉を待つのだ・・・例え、警察が自転車を盗んでも、証拠をもみ消しても・・・って、あれ?あれれ?
そんな新刊、もひろんの作風もだいぶ変わって先の読めない展開です。「なるたる」から「ぼくらの」への変化を、かつて私は氏が優しくなったのか幸せになったのだろうと評したものですが、さて今作をどう評価したものか迷っています。
作風はいささか楽天的に、主人公のミツにひきずられるように明るくなってはいますが、内容はどうでしょう。世直しのための殺人が、そしてそれを肯定してくれるヒロイン(一方的片想い)をも裏切っている主人公はといえば、事故の様に犯した殺人を忘れて生きていくそんな日常。今までよりもずっと生活感にあふれ、温かで人間味のある、それでいて簡単に人を殺して行く子供たち。これはもはや「なるたる」よりもずっとタチが悪いのではなかろうか。
終わることの無かった世界を、弛緩しきったモラルのない世界を、ちいさな手で矯正せんとする子供たちの、報われることのない世界・・・途方もない徒労に終わる、そんな予感が漂うのです。
という新刊は存分にたのしみましたので、いつもの恨み節(笑)。まあ、自分の正義を信じているものなので余計に奴らの悪辣さ卑劣さに腹が立つのでしょうけれども、果たして全面戦争となったときに味方となってくれる人がどれだけいることか。正しさが戦争の勝利条件ではないのです。そして、人の数だけ正しさがあり、悪もまた正義となりえるということも。
こういう状態で、例え正義を認められたとしても、それまで培った信頼を0(またはそれ未満)にまで貶めるほどの力があるか?大恩には勝てないのではなかろうか。
既に、裏切り者(笑)の存在を見て知っているからこそ、いたずらに事態を混乱させるようなことはすべきではないのか、そんなかんじでここにヒキっていたのですが・・・もはや猶予はないのかもしれません。
むしろ奴のテリトリーといっていい場所から追い出すことが出来るのか否か、開戦に踏み切ったとしても徒労に終わりはしないかと悩みはしますが、とりあえず虎穴に飛び込むことでしか活路は開けぬと覚悟を決めました。
もう失うものなんて殆ど残っていないのだから、己の誇りと尊厳を賭けて、戦争をしましょう。
開戦のときは、週末。
- 2013/01/10(木) 02:22:28|
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新年あけましておめでとうございます。
コミケでは無料頒布の準備が遅れ、遅刻したりと色々申し訳ありませんでした。
近所の神社だけでは飽きたらず、靖国へも夜中に詣でてみたりしたので風邪をひきました。
(いや~、大鳥居からの眺めは最高ですね。あの空しか見えない眺望は、どことなく伊勢内宮にも似た空間の妙みたいな不思議な感覚を呼び覚まし云々。今度は昼間に行きましょう。あと、思っていたよりも客層がまともだったしヤ台もいっぱいで、結構普通で拍子抜けしました。うへへ、完全に物見遊山ですサーセン)
さて、KOTY2011動画が投稿され、思い付いて覇王鬼帝の実況プレイを探してみたら…なんということでしょう。
あの難易度マジキティなクソゲー、ブロッククラッシュに続編(V)が出ていたとは。そして中身も酷かった。
何が酷いって、スタッフが微塵も反省していないどころか、KOTYを取り入れてしまっているという、ご覧のありさまだよ!状態には愕然としましたよ。
難易度が高いだけで全く面白くない、たけしの挑戦状レベルといわれていたのを、HARDクリアで「覇王への道」とか「挑戦状モード」とかもうね。
ああ、まあいいや。これは前振りです。風邪ひいてやることないんで、ブログにどーでもいいこと書くのは今しかない!って思っただけなのよね。
でね、マジキチなマクドもね、散々前振りがあった訳じゃないですかぁ。
看板メニューの値下げキャンペーンはやらない→レジ前メニューの撤去→60秒提供キャンペーン
完全なブラック企業、詰んでるよねこの会社…まあ、低価格メニューで業績あげてFC売り抜けしようってあたりも酷かったけどさぁ。
まあ、嫌な予感しかしなかったので混雑が予想される60秒キャンペーンの時間帯は避けていた訳です。
ひさしぶりにマクドの看板メニューたるビグマが食べたくなって、夏目新刊買いがてら夜に訪れたガラガラのマクドでそれは起きたのです。
「乙彼」
思い返してみれば、あまりにも提供時間が早すぎて妙だと思うべきだったし、もっとはやくに紙に包んでと頼めばよかった。
(ビグマなど一部バーガーは箱入りで提供される。紙で包むことをマック用語では「ラップで」というらしいのでヘビーマカーの人は試してみては。)
かざすクーポンで、ビグマ定価でドリンクMがついてくるというので、私は携帯をかざしドリンクをどれにしようかとちょっと迷った。
いつもなら迷わずオレンジを氷抜きで頼むのだが、このときばかりは風邪がやばすぎて暖かく胃に優しいもの が欲しくなり、結局得でもなんでもねえなと思いながらもホットティーに決めたのだった。
ここで第一の異常、すでにあの見覚えのある箱がレーン末端に用意されている。
まさか、他の客のものだろう。私の頼んだもののはずがない。そう思ってレモンを頼むと…なんということでしょう、それはトレーの上に乗せられたのです。
いくらか不審に思いながらも、あまりのことに水を頼むのも忘れてトレーを受け取り、狙っていた風通しの悪い一角に陣取りティーバッグを2つ投入したのです。
砂糖やらレモンやらを入れて蓋をしてしまったら落ち着いたので、改めて水を頼みに空いているレジに行き、問答無用で(いつもは氷抜きにしてくれるのに)ほとんど氷しかない水をもらって、さあようやくだ。そう安心した時でした。
ビグマの蓋をあけた私の目に飛び込んできたのは、ボールペンで大きく乙彼と書かれた妙な紙切れでした。
正直、なんどもレジと席を往復するのはしんどいし、ふらふらするし、めんどいし、証拠物の押収とかしたほうがいいんじゃないかとさえ思いました。
でもまあ店員がどんな反応をするのか見てみたい気持ちもあったので、持っていったんですね。
あのー、これ中にへんな紙入ってたんですが、どんな意味でしょうかってね。
案の定、上記台詞の途中で「申し訳ございません、すぐ作り直します。お席にてお待ちください」っていうんで、あらためてラップの件頼んだという顛末やねんけどね。
ああこれはあかんなと、思いましたよ、今度こそさすがにあかんわな。
つまり、この店ってまともな店員が逃げてしまって急遽雇った低賃金のバイトに全て丸投げしちゃってるということやもん。
前まではまだまともな店員さんもいたんよ。マニュアル人間と、マトモじゃない人間しかいないんじゃ、しょうがないよ。
こんな思いをして提供されたブツ、美味しくいただけたと思います?ぜんぜん味せーへんかったわ。
夏目は涙がちょちょぎれる素晴らしい出来だったけど、レモンティーも胃に優しかったけど、いかんでしょ。
コジキみたいに携帯スクラッチのクーポンでいいものでるまで行かないし、普通に買うのはチーバーと、朝マック(グリドル、ソーマ)だけだけどさ。
もうだめぽじゃなく、ほんまにあかんよ。オワタ。オワットル。そういうことなのよね。
そういうわけで、まともになったり経営者が変わったり潰れたりしないうちはマクドいけませんねん、というお話でした。
今度からは中華屋かドトールかガスト行くしかないなあ。お金かかってしゃーないけど、こればかりはしゃーない。
余談
男女の間に友情が成立するわけない、って言う人もいるけど、成立すると思うよ …なーんてズレた発言をした某氏へのひとこと。
セクハラとか暴言とか脅迫とか囲い込みとか、痛い目を見たら友情なんて消え失せる罠。順序が逆やと思うで。
うーん、そろそろ某非公開コミュに参加しつづけるのも限界かもしれません。
公開されているところって、勿論いろいろ制限はありますよ。言えないことって色々ありますもんね。プライベートなこととか。
でもさぁ、ひとの悪口とか違法行為とかそういうのまで許されるんだろうか?ってね、色々と目に余るのも事実。
(まあこういうのって公開されててもやる人いるけど、人格破綻してるよね。モラルないひととはおつきあいしたくないです。)
確かに、私は親との関係が上手くいっている訳じゃないし、社会人失格の烙印を押されてリタイアして結構たつし、コミュ障だし、口悪いし、まともな人間じゃないって言われるかもしれないけどさ。
人間の皮を被った畜生がヨダレ垂らして徘徊してる側には寄りたくないよ。密室ならなおさらね。
一番の問題は、そういうのに限ってシレっと人畜無害そうな笑顔を振り撒いてるってことなんだけど、オマエは政治家か?
結局は、私もHFの方に行くことになるんだろうかなぁ。今も片足突っ込んでますがw
ということで、今のところ席だけは置いていますが何かあったらすぐに離脱します。我が身が一番大事よ。
公開されてるチャットには長らくお世話になっております。ありがたいことです。
某氏のように追放になったりとか自ら退会したりとかはきっと期待できないんで、しゃーないね。
まあ、がんばって巫女巫女しまーすか。あ、あとキティラーに興味出てきた。もっとREAL改造したいな。ではまた!
- 2013/01/05(土) 23:11:26|
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何故、改造記事を何年も書いてきたか。その理由は何度も述べているように、ごく当たり前に「誰かの役に立ちたい」といった善人でありたいというような欲から、というのがそのひとつだった。
もうひとつ、私自身にとって非常に重要な理由がある。頭の働きの鈍さをカバーし、理解を積み重ね、知識を使えるように変質させる、メモ帳として必要だったのだ。
同人誌という形態で、知識を記事として再構築できたのも、積み重ねあっての賜物であり、先人の膨大な解析があってはじめてなし得たとか協力してくれた友人諸氏の貢献たるや今更言うまでもなく重要であり、私が情強だとか頭がいいだとかそういう類いの評価はまったく的はずれということを強く主張したい。
何故、記事の更新停止をして冬コミ前にこんなものを書いているか。それは、私にはやはりメモがないとダメなのだと思い知らされたからである。
さて、標題のXとYとは今年もっとも関わった人物の仮名である。今回のメモは、コミュニケーションが下手くそで人生経験に乏しく社会通念やら常識について無知といってもいいほどの低レベルな人間である私の目から観察し、知ったことについて書き残しておく。
コミュニケーションを長年避けてきた私が、まがりなりにも対面した結果、私自身にとっては大きな、他人から見ればきっと小さな革命が起きた。
私と家族、更にその前の世代の失われた家族の形、目には見えない関係性の糸を見つけ、長年の疑問は氷解した。まったく抽象的に過ぎるが、アイデンティティとかパーソナリティの根幹をさらけ出せるのは本当の意味で強い人間だけができることですので、虚弱な小物である「淘汰されるべき種」はこのくらいで勘弁願いたいなと、申し訳ないですが。
実際に彼らと関わった時間はそう多くはないですが、親に対するように、じっくりと観察だけはしていたので、この世界のはしっこ位は掴めたのではないかと思います。
「天使なんかじゃない」少女漫画にそんなタイトルがありましたっけ。
X氏を評して、Y氏が私について聖人のような評価をしていると教えてくれたことがありまして、甚だ懐疑的ではあったのですが、そんなこともあるのかと聞き流しておりました。で、分析を重ねた結果、それはY氏の私に対する評価であったと分かったのです。
私の持論はY氏にも語ったのですが「いい人は早死にする」ということに尽きるのですから、誰かのために進んで命を預けるような聖人とはまったくないと断言する私は本心から「アホいいなや」と返したのですけどね。あとになって実際、自己嫌悪に陥るとわかっていて非情な言葉を投げつけたのは、ひたすらに我が身可愛さから出たのですし。
で、面白いなと思ったのはY氏の人物評です。彼は、失敗ハーレムを築き夢破れたスクイズ主人公(たぶんアニメ版)伊藤誠が嫌いらしく、かなり酷評している一方で禁書の聖母的尼僧オルソラを作中で最も好ましい人物といったのです。
私から見ると、両者は非常に似ている。たいして親しくもない相手に対して、非常に優しいという点で。
私の最も好きなキャラクターであるカミーユもまた、聖人的な節操のない優しさを持っています。
脆弱さは美徳ではないと、富野さんは赤い人の台詞で言わせているとおり、優しさしか持たない人間は敵に対して非常に無防備であり、容易に騙されたり奪われたりします。聖人とは、死刑台に載せられた人をいうのでしょう。
まぁ、物語には聖人ポジションのキャラクターが必要ではありますが、およそ非人間的なほどに清廉であるオルソラに相対したとして(禁書って全体的にキャラがペラいよね、新訳は更にヤベェですよ)己の罪深さに戦き、震え、全身を泥の中に投げ出して泣いて許しを乞うことになるのではなかろうかと考えてしまうのですが。欠けている部分がないと共感できないのは、己の卑しさを暴露することになるのかもしれないが…
で、人工アンケートにベルダンディーというそのものずばり女神様なるみのの、その人気を見たときにも僅かに感じた違和感の正体。それはものすごくメジャーな理由があった訳です。
理想の母。はっきりいえば、マザコンってやつ。いや~ん、怒らないで、シスコンよりメジャーじゃないですかぁ。
問題のある家庭で育った人間は、だいたい二種類に大別して、家庭そのものに失望しているか、完璧な家庭を夢見るか(複合型もあり)であり、私が前者でY氏は後者だということになるでしょうか。
母親の理想、聖母マリアを思い浮かべればだいたいわかりますが、現実とはほど遠く、ドリーム入りすぎですよね。処女懐妊とかw
より現実的である優柔不断な聖人は、のべつまくなしに愛情を振り撒く八方美人であり、節操なしだと多くの人に描かれています。まあ、泡姫って聖人よねって話。
現実で聖人に恋をすると、スクイズの破綻を見るまでもなく、不幸になるでしょう。その恋が本気であればあるほど、悲劇に近づいていく。だって万年節操なしで、その病気は不治ですから、独占しようとするなら言葉様みたく命を奪うか、あるいは捧げることでしかハッピーエンドにはならない訳で。
だからこそフィクションにそれを求めるのだ、という理屈はわからなくはないけど、私には無理っす。
最も都合のいい形で、自分に対してだけの女神で、他人には(そうとは)見えない、というのが落としどころでしょうか。
まったく、罪なヒトですよね。聖人様って奴は!(字面は矛盾の塊やでぇ)
そうそう、このあいだ聖母殿(女の細腕で子供を育て、過労が祟って癌が遅くみつかり、奇跡的に生き永らえた方)に会って持論を展開したら「やさしくなくて悪かったわね!」っておこられちゃいましたけど、死ぬよりええやんねぇ。
こんな持論をひけらかす理由は、聖人扱いされたら堪らないからですよ。なにそれきもい。ひとを勝手に殺さないでくれってね。何人にも等しく愛を与えるのって酷いことだよ。相手を自分と同じ人間と思ってないのに等しいでしょ。もしかすると、私は自分以外の人間をひとからげにしているかもしれないけどね。
聖人なんて、見る人にとってはオルソラであったり誠氏ねだったりするものなんだからさ。
「見えるひと」って打ちきり漫画のタイトルにあった気がするけど、次は見なかったことにする人についての話。
脳みそが幸せな人、お花畑の国の住人のことをポジティブと評するなら、まあそういう意味でお二人は幸せな人だったのかもしれません。
池袋駅で件の聖母と待ち合わせしていた折り、宗教な人たちが(幸せそうな微笑みを湛えて)寄ってきて言うことには「あなたは幸せですか?」ですよ。
勧誘の意図はわかりますが、言葉の意味は…興味本意で、まともに応対した私はマヌケなのか意地悪なのか。
悩みがないと幸せ、まあそうかもしれないけどさぁ、その幸せって違うくない?早い話、それって現実逃避じゃないの。
生きることに悩む人のほうがずっと好ましいんだけどなあ。だってどう見てもここは理想郷じゃないでしょ、汚いものは見なかったことにすれば 解決するのかねえ?
X氏は見なかったことにする能力に非常に秀でている、というのが本年の総括。良く言えばポジティブ、そう受け止めておけばいいんじゃないかな。
ツンデレを思い込みに利用する奴が許されるのは妄想の中だけでしょ。まさか現実に持ち込むとは、夢にも思わなかったです。
被害妄想の逆も怖いんですねえ。特に私のようなネガティブ人間と会話すると、まったくお互いに通じていなかっただろうことは今になって見に染みてわかります。
ネガ「あなたは幸せそうに見えます」(楽天的すぎてついていけません)
ポジ「そうですか、ありがとう(*´∀`)♪」(すごくいい評価をもらった)
ポジ「あなたこそ素晴らしいひとだ("⌒∇⌒")」(好きになってくれて嬉しい、もっと好かれたい)
ネガ「それはどうも、それほどでもありませんが」(冗談きついよ、勘弁してくれ)
ポジ「どういたしまして(≧∇≦)」(やったあ!好感度うpしたよ)
ネガ「…」(言葉が通じないタイプの人なんだろうか)
ポジ「…」(照れてるみたいだ、可愛いなあ)
そう、例えばこんなかんじにすべての会話がすれ違いのみで構成されていた場合、遠からず二人の関係は破綻すると容易に想像がつくでしょう。
私はX氏のことを自分の親と同じように思っていましたが、私が最も嫌いなのは親の人間性であった、というようにね。
齟齬に気づいてから、戦慄しましたよ。ヒエーッ!肝が冷えるとはこういうことをいうのだと思いました。
人に本気で接することにはエネルギーが必要です。真心をもって、相手を見定め、意思を伝えることのなんと難しいことか。
道徳の時間なんて、方程式を作って点数稼ぎをしてきたような面倒くさがりの私にとっては今回の一件は重労働でした。
地獄を見た。走馬灯を見た。冗談じゃなく、最後の対面はほんとに生命の危機を感じました。
そんなふうに評価を頂いて、ええ、ほんとに身に余る。自分を騙して、平気で他人も騙していることに気づいていないあなたではないでしょう。
それって狡い生き方ですものね。
私が本当になにも考えずに思ったことをそのまま口に出すと、悪いことばかり出てくるのだと思います。申し訳ないけど、いいこと言ってるときは全部心にもない言葉ですのでお気をつけて。情の深い両親に非情と泣かれたのですから、自覚はあります。自分の懐が痛まない範囲でならいくらでも優しくしますけど、嘘がつけないらしいので、目のいい人には全部お見通しでしょう。
某、参議院与党の面々がマニフェストを掲げたとき、見えなかった人は要注意。彼らは自分をも騙せるのですから。
たまたまラジオでものすごいことを言っているその党の女性候補者に前選挙の折り、集中していなかったら、彼らを計算のできない馬鹿と思っていたかもしれません。
学生「すばらしい公約ですが、どうやって実現するおつもりですか」
候補「私の議員生命を掛けて、死力を尽くします。党には責任をもって守らせます」
学生「では、公約が守られなかった場合、あなたはどんなことをしてくれるのでしょうか」
候補「公約を守らない党にいる意味がないので、離党します」
学生「えっ、そ、そうなんですか」(ざわ… ざわ…)
候補「新党を結成し、公約のために尽力します」
学生「…それはすばらしいこころがけですね、がんばってください。」
だいたいこんな流れだったと記憶しているけど、だいぶ昔なので定かではない。
ただ、離党~新党のくだりとスタジオのざわめき、応援で締め括ったのは印象深いので間違いないだろう。まったく、詭弁もいいとこ、リスナーを馬鹿にしている。きっと本人は「自分は馬鹿じゃない」という嘘を自分にもついているのだろうことは想像に難くない。
時として、真実を告げることは命の危険を伴う。私は下手な嘘をついてまで安全圏に待避してからでないと、本当のことを言えなかった。
自分の命を懸けて他人を救おうとした聖人を貶める気は毛頭ないけれど、私は卑怯でもいい、臆病でもいいから生きていたかった。聖人なんかになりたくないよ。(でもさー、親が率先して悪人たれと教えるのってどうよ?内弁慶の逆を子供に要求するって、そりゃ精神的虐待でしょ)
二次元に愛すべき畜生や唾棄すべき聖人をつくりだすのは表現の自由、妄想するだけなら思想信条の自由無制限でもっといいだろう。
でもねX氏、現実の人間を自分の思い通りにねじ曲げようというのはあなたの傲りだよ。戦時中でさえ犯罪は犯罪だし、そんな権利は誰にもないし、ましてや実現不可能だしね。まさか星島のように赤の他人を奴隷にできると妄想して行動に移す奴が身近にいるとは思わなかったよ(そしてここが私の油断であり、反省事項)。まだ本気でそう思っているとしたら、重症だから入院した方がいいと思う。
虚弱で欠陥だらけの私ですが、社会復帰できるよう日々悩み創作に勤しんでいます。
自分を犠牲にしてまでいずれ被害に逢うかもしれない見知らぬ誰かのために行動するほど、私は聖人じゃないということを確認し、そして生き延びることができてよかったと心から幸せを感じた。今年は私にとってそういう形にならないものを見つけた一年でした。
かつて現実に還れと叫んだ某作品の、萎びたような続編を見に行くつもりはありませんが、自己中心的世界で生きろと吠えて今回〆とします。
(このネタ、古すぎ!?)
- 2012/12/19(水) 19:45:35|
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はにゃ~ん!ご無沙汰っす。もうそろそろ忘れられてる頃合いでしょうか。
とうとう吹っ切れて女装少年と親友の自己愛と友情による不毛な片想い合戦を描いています。
勿論、カミーユたんがお母さんを殺されたり検査という名目で浣腸されたり棒状の無機物を突っ込まれたり
子供の教育がなってないと父親に折檻されたり、当然ジャミトフらの指示だったり、
ジェリドも巻き込まれたり、でもやっぱりいい奴だったり、エマさんに助けられて恋しちゃったり、
アーガマで父親の裏切りを告発したり、自暴自棄になったり、小説版みたくゲロったり、
悟りすぎて戦争の駒になりそうもなかったり、でもやっぱり使命感に駆られて飛び出したりしそうな
そういうのも描きたいんだけど時間がないのでダイジェストで出せたらいいなあ。とか妄想三昧ですが何か?
絵は描けるようになったんだけど、漫画の才能なさすぎて進行遅すぎワロエナイ…ナハハ。
恋愛音痴と蔑まれ、わかってねーなといわれつづけて三十余年。
イコール、彼女(彼氏)いない歴のこの私が描くものは、イコール紛い物なのか?
否。
かつて転校生の可愛いあの子に執着しすぎて嫌われた苦い思い出だって、立派な恋愛遍歴だと私は信じております。
色々あって、今は妹しか愛せないなんて現実逃避めいたことを叫んでいる今日この頃ですが、無駄に年だけとった訳じゃありません。
報われないからこそ、恋は美しいんです。
そんなね、赤の他人と分かり合える分かち合えるなんてほぼ幻想ですよ。
結婚していった友人たちにせよ、年長の親戚にせよ、そういうのとは違うんです。
クリスマスだのデートだの結婚だの、そんなのは浮かれた人同士で勝手にやってればいいんです。
(あ、子供をつくったなら親としての責任はちゃんと果たしてね!)
私は妹を世界で二番目に愛してます。
一番は私自身?まあ、それもあるけど漫画です。好き好き大好きもう愛してる。
私自身は決して美しい人間ではないけれど、歪んだ熱情を真っ白い紙に叩きつけて黒いインクで汚して、
もしも叶うなら、同じように救われない汚れた人たちの心に妄想の産み出す熱の欠片なりと伝えられれば。
そんな風に、来るべきときを戦々恐々と待ち構え、引きこもったり漫画読んだり描いたりしてるのでした。
近況報告はこんなところかな。
黒子のバスケをハブにして問題決着を図る、という決着はとうてい納得できるものではないので
コミケ参加はこの冬にておわりとします。
が、まだ他のイベントに出る予定はいくつかありますので、描き損ねたものはそちらで発表したいと思います。
最後に、恋愛依存症(?)でありながら恋愛音痴で女心がわかんないお!という方への推薦図書。
「ディスコミニケーション」新装版が刊行されています。謎の彼女Xの作者のデビュー作。少女視点、やや難解?
「スクールデイズ」アニメ版が一番いいかも。エロやグロに惑わされず、各人の意思疏通を見るべし。
「お母さんを僕にください」二巻が出たとこですが、勘違い系の紳士淑女()を客観視すると…辛辣な描写に注意!
ま、分析ばかり得意になっても現実の役には立ちませんが、目から鱗、ということもありまっせ。
現実を見ろよっていわれてもね、ろくでもない現実に夢をダブらせて夢を汚すようなことはしたくないんすよ。
夢を現実にできるなら、創作だって魔法になるんですよ。
追い詰めて、突き詰めて、やがて自信作ができるその日まで。アディオース、アミーゴ!
- 2012/12/12(水) 11:09:42|
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