何故、改造記事を何年も書いてきたか。その理由は何度も述べているように、ごく当たり前に「誰かの役に立ちたい」といった善人でありたいというような欲から、というのがそのひとつだった。
もうひとつ、私自身にとって非常に重要な理由がある。頭の働きの鈍さをカバーし、理解を積み重ね、知識を使えるように変質させる、メモ帳として必要だったのだ。
同人誌という形態で、知識を記事として再構築できたのも、積み重ねあっての賜物であり、先人の膨大な解析があってはじめてなし得たとか協力してくれた友人諸氏の貢献たるや今更言うまでもなく重要であり、私が情強だとか頭がいいだとかそういう類いの評価はまったく的はずれということを強く主張したい。
何故、記事の更新停止をして冬コミ前にこんなものを書いているか。それは、私にはやはりメモがないとダメなのだと思い知らされたからである。
さて、標題のXとYとは今年もっとも関わった人物の仮名である。今回のメモは、コミュニケーションが下手くそで人生経験に乏しく社会通念やら常識について無知といってもいいほどの低レベルな人間である私の目から観察し、知ったことについて書き残しておく。
コミュニケーションを長年避けてきた私が、まがりなりにも対面した結果、私自身にとっては大きな、他人から見ればきっと小さな革命が起きた。
私と家族、更にその前の世代の失われた家族の形、目には見えない関係性の糸を見つけ、長年の疑問は氷解した。まったく抽象的に過ぎるが、アイデンティティとかパーソナリティの根幹をさらけ出せるのは本当の意味で強い人間だけができることですので、虚弱な小物である「淘汰されるべき種」はこのくらいで勘弁願いたいなと、申し訳ないですが。
実際に彼らと関わった時間はそう多くはないですが、親に対するように、じっくりと観察だけはしていたので、この世界のはしっこ位は掴めたのではないかと思います。
「天使なんかじゃない」少女漫画にそんなタイトルがありましたっけ。
X氏を評して、Y氏が私について聖人のような評価をしていると教えてくれたことがありまして、甚だ懐疑的ではあったのですが、そんなこともあるのかと聞き流しておりました。で、分析を重ねた結果、それはY氏の私に対する評価であったと分かったのです。
私の持論はY氏にも語ったのですが「いい人は早死にする」ということに尽きるのですから、誰かのために進んで命を預けるような聖人とはまったくないと断言する私は本心から「アホいいなや」と返したのですけどね。あとになって実際、自己嫌悪に陥るとわかっていて非情な言葉を投げつけたのは、ひたすらに我が身可愛さから出たのですし。
で、面白いなと思ったのはY氏の人物評です。彼は、失敗ハーレムを築き夢破れたスクイズ主人公(たぶんアニメ版)伊藤誠が嫌いらしく、かなり酷評している一方で禁書の聖母的尼僧オルソラを作中で最も好ましい人物といったのです。
私から見ると、両者は非常に似ている。たいして親しくもない相手に対して、非常に優しいという点で。
私の最も好きなキャラクターであるカミーユもまた、聖人的な節操のない優しさを持っています。
脆弱さは美徳ではないと、富野さんは赤い人の台詞で言わせているとおり、優しさしか持たない人間は敵に対して非常に無防備であり、容易に騙されたり奪われたりします。聖人とは、死刑台に載せられた人をいうのでしょう。
まぁ、物語には聖人ポジションのキャラクターが必要ではありますが、およそ非人間的なほどに清廉であるオルソラに相対したとして(禁書って全体的にキャラがペラいよね、新訳は更にヤベェですよ)己の罪深さに戦き、震え、全身を泥の中に投げ出して泣いて許しを乞うことになるのではなかろうかと考えてしまうのですが。欠けている部分がないと共感できないのは、己の卑しさを暴露することになるのかもしれないが…
で、人工アンケートにベルダンディーというそのものずばり女神様なるみのの、その人気を見たときにも僅かに感じた違和感の正体。それはものすごくメジャーな理由があった訳です。
理想の母。はっきりいえば、マザコンってやつ。いや~ん、怒らないで、シスコンよりメジャーじゃないですかぁ。
問題のある家庭で育った人間は、だいたい二種類に大別して、家庭そのものに失望しているか、完璧な家庭を夢見るか(複合型もあり)であり、私が前者でY氏は後者だということになるでしょうか。
母親の理想、聖母マリアを思い浮かべればだいたいわかりますが、現実とはほど遠く、ドリーム入りすぎですよね。処女懐妊とかw
より現実的である優柔不断な聖人は、のべつまくなしに愛情を振り撒く八方美人であり、節操なしだと多くの人に描かれています。まあ、泡姫って聖人よねって話。
現実で聖人に恋をすると、スクイズの破綻を見るまでもなく、不幸になるでしょう。その恋が本気であればあるほど、悲劇に近づいていく。だって万年節操なしで、その病気は不治ですから、独占しようとするなら言葉様みたく命を奪うか、あるいは捧げることでしかハッピーエンドにはならない訳で。
だからこそフィクションにそれを求めるのだ、という理屈はわからなくはないけど、私には無理っす。
最も都合のいい形で、自分に対してだけの女神で、他人には(そうとは)見えない、というのが落としどころでしょうか。
まったく、罪なヒトですよね。聖人様って奴は!(字面は矛盾の塊やでぇ)
そうそう、このあいだ聖母殿(女の細腕で子供を育て、過労が祟って癌が遅くみつかり、奇跡的に生き永らえた方)に会って持論を展開したら「やさしくなくて悪かったわね!」っておこられちゃいましたけど、死ぬよりええやんねぇ。
こんな持論をひけらかす理由は、聖人扱いされたら堪らないからですよ。なにそれきもい。ひとを勝手に殺さないでくれってね。何人にも等しく愛を与えるのって酷いことだよ。相手を自分と同じ人間と思ってないのに等しいでしょ。もしかすると、私は自分以外の人間をひとからげにしているかもしれないけどね。
聖人なんて、見る人にとってはオルソラであったり誠氏ねだったりするものなんだからさ。
「見えるひと」って打ちきり漫画のタイトルにあった気がするけど、次は見なかったことにする人についての話。
脳みそが幸せな人、お花畑の国の住人のことをポジティブと評するなら、まあそういう意味でお二人は幸せな人だったのかもしれません。
池袋駅で件の聖母と待ち合わせしていた折り、宗教な人たちが(幸せそうな微笑みを湛えて)寄ってきて言うことには「あなたは幸せですか?」ですよ。
勧誘の意図はわかりますが、言葉の意味は…興味本意で、まともに応対した私はマヌケなのか意地悪なのか。
悩みがないと幸せ、まあそうかもしれないけどさぁ、その幸せって違うくない?早い話、それって現実逃避じゃないの。
生きることに悩む人のほうがずっと好ましいんだけどなあ。だってどう見てもここは理想郷じゃないでしょ、汚いものは見なかったことにすれば 解決するのかねえ?
X氏は見なかったことにする能力に非常に秀でている、というのが本年の総括。良く言えばポジティブ、そう受け止めておけばいいんじゃないかな。
ツンデレを思い込みに利用する奴が許されるのは妄想の中だけでしょ。まさか現実に持ち込むとは、夢にも思わなかったです。
被害妄想の逆も怖いんですねえ。特に私のようなネガティブ人間と会話すると、まったくお互いに通じていなかっただろうことは今になって見に染みてわかります。
ネガ「あなたは幸せそうに見えます」(楽天的すぎてついていけません)
ポジ「そうですか、ありがとう(*´∀`)♪」(すごくいい評価をもらった)
ポジ「あなたこそ素晴らしいひとだ("⌒∇⌒")」(好きになってくれて嬉しい、もっと好かれたい)
ネガ「それはどうも、それほどでもありませんが」(冗談きついよ、勘弁してくれ)
ポジ「どういたしまして(≧∇≦)」(やったあ!好感度うpしたよ)
ネガ「…」(言葉が通じないタイプの人なんだろうか)
ポジ「…」(照れてるみたいだ、可愛いなあ)
そう、例えばこんなかんじにすべての会話がすれ違いのみで構成されていた場合、遠からず二人の関係は破綻すると容易に想像がつくでしょう。
私はX氏のことを自分の親と同じように思っていましたが、私が最も嫌いなのは親の人間性であった、というようにね。
齟齬に気づいてから、戦慄しましたよ。ヒエーッ!肝が冷えるとはこういうことをいうのだと思いました。
人に本気で接することにはエネルギーが必要です。真心をもって、相手を見定め、意思を伝えることのなんと難しいことか。
道徳の時間なんて、方程式を作って点数稼ぎをしてきたような面倒くさがりの私にとっては今回の一件は重労働でした。
地獄を見た。走馬灯を見た。冗談じゃなく、最後の対面はほんとに生命の危機を感じました。
そんなふうに評価を頂いて、ええ、ほんとに身に余る。自分を騙して、平気で他人も騙していることに気づいていないあなたではないでしょう。
それって狡い生き方ですものね。
私が本当になにも考えずに思ったことをそのまま口に出すと、悪いことばかり出てくるのだと思います。申し訳ないけど、いいこと言ってるときは全部心にもない言葉ですのでお気をつけて。情の深い両親に非情と泣かれたのですから、自覚はあります。自分の懐が痛まない範囲でならいくらでも優しくしますけど、嘘がつけないらしいので、目のいい人には全部お見通しでしょう。
某、参議院与党の面々がマニフェストを掲げたとき、見えなかった人は要注意。彼らは自分をも騙せるのですから。
たまたまラジオでものすごいことを言っているその党の女性候補者に前選挙の折り、集中していなかったら、彼らを計算のできない馬鹿と思っていたかもしれません。
学生「すばらしい公約ですが、どうやって実現するおつもりですか」
候補「私の議員生命を掛けて、死力を尽くします。党には責任をもって守らせます」
学生「では、公約が守られなかった場合、あなたはどんなことをしてくれるのでしょうか」
候補「公約を守らない党にいる意味がないので、離党します」
学生「えっ、そ、そうなんですか」(ざわ… ざわ…)
候補「新党を結成し、公約のために尽力します」
学生「…それはすばらしいこころがけですね、がんばってください。」
だいたいこんな流れだったと記憶しているけど、だいぶ昔なので定かではない。
ただ、離党~新党のくだりとスタジオのざわめき、応援で締め括ったのは印象深いので間違いないだろう。まったく、詭弁もいいとこ、リスナーを馬鹿にしている。きっと本人は「自分は馬鹿じゃない」という嘘を自分にもついているのだろうことは想像に難くない。
時として、真実を告げることは命の危険を伴う。私は下手な嘘をついてまで安全圏に待避してからでないと、本当のことを言えなかった。
自分の命を懸けて他人を救おうとした聖人を貶める気は毛頭ないけれど、私は卑怯でもいい、臆病でもいいから生きていたかった。聖人なんかになりたくないよ。(でもさー、親が率先して悪人たれと教えるのってどうよ?内弁慶の逆を子供に要求するって、そりゃ精神的虐待でしょ)
二次元に愛すべき畜生や唾棄すべき聖人をつくりだすのは表現の自由、妄想するだけなら思想信条の自由無制限でもっといいだろう。
でもねX氏、現実の人間を自分の思い通りにねじ曲げようというのはあなたの傲りだよ。戦時中でさえ犯罪は犯罪だし、そんな権利は誰にもないし、ましてや実現不可能だしね。まさか星島のように赤の他人を奴隷にできると妄想して行動に移す奴が身近にいるとは思わなかったよ(そしてここが私の油断であり、反省事項)。まだ本気でそう思っているとしたら、重症だから入院した方がいいと思う。
虚弱で欠陥だらけの私ですが、社会復帰できるよう日々悩み創作に勤しんでいます。
自分を犠牲にしてまでいずれ被害に逢うかもしれない見知らぬ誰かのために行動するほど、私は聖人じゃないということを確認し、そして生き延びることができてよかったと心から幸せを感じた。今年は私にとってそういう形にならないものを見つけた一年でした。
かつて現実に還れと叫んだ某作品の、萎びたような続編を見に行くつもりはありませんが、自己中心的世界で生きろと吠えて今回〆とします。
(このネタ、古すぎ!?)
- 2012/12/19(水) 19:45:35|
- 雑記
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私が某チャット荒らしてた頃も見たことなかったような輩に、
今年5月に「クレクレ板」について茶化されて書かれてるの発見
しました。今はワークマン系だけですが「キボン成就率」は20%
とかなりな高確率だと思うのですが・・・。
ガノさんもリアルでは「敵に塩を送る」感じではないようで・・・。
いろいろ気にしてるとキリないです。
私が某豊氏とその取り巻き憎むのも「ネット上での商売の邪魔」
だと識認してるだけであります。
リアルな憎人は「利害が共通する人」で愚痴言い合えばいいだけの話です。
私のネット上での愚痴は現在某霧氏に負担かけすぎなので、
「常駐できるアイワン系な共同管理人」さんまた募集しようと
思ってます。
それと、某H○からは「なんでも転載」ではなく「初期ツールと満沈」です。
それがあってこそ「MODに興味」持つ人増えると私は思ってます。
支離滅裂分失礼。
- 2012/12/20(木) 15:52:52 |
- URL |
- 紫外線 #-
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コメさんくす>UV氏
両氏とはもう縁を切ったんでいいんですが、今年は関係各所で縁を切って回ったので寂しい年末であります。
愚痴ぶろぐっていうのは某先生に勧められたので、今回お試し気分で書いてみました。
こういう悶々とした気持ちは創作にて昇華するのがええんでしょうけど、緩衝帯を設けないとダメな性分らしいのです。我ながらめんどいっす。
敵もなにも、新作絡みで動きがありそうな年始にはそちらにも寄らせてください。今は色んな意味で身動きとれないです、さーせん。
よーやくネームが切れたので、ひさびさPC立ち上げて仕上げないとまにあわあない…お絵描きと散歩が楽しみな日々です。
年末の出版ラッシュで色々面白いものが刊行されているので、軽い紹介記事を書けたらいいなと思います。ではまた!
- 2012/12/21(金) 13:24:39 |
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- gano #PV.pG2XY
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