今まで意識したことはなかったが、私は<ジェンダーフリー>派であったというか、そういう社会の性<ジェンダー>がキライだったのだ。
トランスセクシャル(肉体における男女性の転換、変身)やトランスジェンダー(衣装などの性的倒錯、男装・女装)をテーマとした創作が好きなのもそのせいなのかもしれない。
ジェンダーとは社会的抑圧であり、後天的・社会環境によって教育された性のカタチである。
セクシャルハラスメントとは性的嫌がらせであり、肉体の性または社会の性についてからかいの対象としたものだ。
いわゆる<女性の社会進出>に対する妨害行為とされてきたが、女性に対してだけでなく男性に対してもセクハラは行われることがある。
肉体的接触のみならず、言葉や態度によってもセクハラは成立する。
容貌、服装、態度、言葉づかい、恋愛、結婚、子作り、性行為、性的嗜好などなどからかいの種は尽きない。
中年男性にありがちな「これはセクハラじゃないんだけどね~」で始まる御小言は、滑稽なことに大抵セクハラど真ん中である。
ほとんどの自称フェミニストは、事実上ジェンダーフリーの敵であることをご存知だろうか?
<か弱い女性を守るのが男性の役割である>という概念や女性らしさ<貞淑であり、家庭人であること、良妻賢母>を押しつける彼らは、男女平等を勘違いしているといえる。
その逆もまた然り、女性が男性に求めるレディファーストも勿論、ジェンダーフリーの敵である。
さて、ようやく「ときメモ」についての話。
ギャルゲー、乙女ゲーの基礎を作ったのが「ときめきメモリアル」である。
コマンド選択式育成ゲームに、恋愛要素を絡めて、電話でデートに誘ったり誘われたり、会話中にどのように返答するか選択することによって好感度が変化し、最終的に恋愛を成就させるのが目的となる。
高校生活3年間をどのように過ごすか、季節毎に行われるイベント(体育祭、文化祭、クリスマスパーティーなど)で思い出を作り、卒業式に迎えるエンディングで恋愛成就が叶えば大成功である。
お気に入りのキャラクターを落とすのに必要なのは、積極的なアプローチ、自分磨き、相手の望むように返答することである。
ターゲット好みのキャラクターに自分を作りかえることで、気に入られるようになるというわけだ。
(・・・恋愛ってそういうもんなんだろうか?)
ときめきイベントだったり、登下校の態度が段々変わっていく様子は「デレてんじゃねーよ!」と恥ずかしながらもなかなかに面白い。
主人公が自分自身を変化させたように、ときめき状態のお相手も変化していくのである。
ただ、ツン→デレならば望み通りの展開かもしれないが、通常状態の応答がタイプであった場合・・・「すり寄ってくんじゃねーよ!」とあまりのデレっぷりに引いてしまうことも少なくない。
更に、親しくなった相手を放置し続けると“爆弾”イベントが発生する。
時限爆弾が爆発すると主人公の悪評が知れ渡り、全キャラクターの好感度が下がるのだ。
爆弾とはすなわち、嫉妬であり、可愛さあまって憎さ百倍ということで報復されるという訳だ。
おおよそ誰にでも良い顔をする<八方美人>だったり、特定の相手を無視し続けたり、来るもの拒まず優柔不断であると起こりやすいが、時間の経過によって人間関係がもつれ、最終年度になれば自然と起こるのがまたオソロシイ。
回避するためには電話での話し合いや、デートに誘って御機嫌を取る行為が必要であり、ハーレムプレイは実質上不可能となっている。
攻略キャラクターによって必要な好感度(デート数)やパラメーターが違うので、途中で攻略相手を変更することができるなど、長時間プレイを最後まで飽きさせないよう様々な工夫が施されており、よくできている。
一般的な恋愛指南、マニュアルとしても活用できるのではないだろうか。
社会一般におけるジェンダーをよく描いており(私は馴染めないものの)、多少ずれているとはいえ発表当時の風俗や一般常識を反映した資料として後世に語り継がれていくことだろう。
ときメモGS(ガールズサイド)は本家ときメモに比べて何かと豪華である(主に声優の予算とか)。
どちらのときメモも、キャラクター人気を分散させ、関連商品(ドラマCDやキャラソンなど)で稼ぐ手法であるので、ゲーム本体はかなりお買い得だと言えよう。
一般的なのADVエロゲー(やBLゲー、18禁乙女ゲー)では予算の都合上一本道の正規ルートがあり、行動なり返答なりの選択肢を誤るとGoodEndに辿りつけない。
エロイベントや恋人関係を築きたいお相手とのフラグを立て(イベントを起こして)、数々のエロイベントと選択肢を経てようやく恋人関係になり、大抵はエンディングでもエロイベント(本番)が起こる。
抜きゲーであることを求められるエロゲーは、プレイ開始後10分以内にエロイベントを起こす必要があると言われている。
好感度やフラグ立てを行わなくともエロイベントを起こすことができる、というのがギャルゲーとの違いであり、BadEndそのものが魅力的であり、GoodEnd(恋愛成就)が存在しないゲームすらある。
エロゲーでは紳士・淑女であることを必ずしも要求されないが、それらを放棄した末に待つのは獣性の暴発であり、もちろん一般的なハッピーエンドを迎えることは無い。
私にとって居心地の良さを(比較的)感じるのはこの違いに依るところが大きい。
ジェンダーすらも破戒してしまったらしい「コ・コ・ロ」というゲームが気になって購入したのはいいけれども、生来の面倒くささが祟って積んだままになっている。
ボイスやテキスト(画像が一番カンタン)をちょちょっと抽出してしまうことが専らエロゲーの楽しみであり、ほぼそれだけで満足してしまうのだから、私は恋愛に全く向いてないのだろう。
次回は「リア充爆発しろ!」についてちょっと書いてみようと思う。
さて、ここからは妄想のお話。
小説というのは他人(筆者)の考えを知るツールであるけれども、ノンフィクションの場合は筆者の考え方を取り除いた事象に対する分析というアプローチも有効である。
私は犯罪や性に関する(社会科学に分類される)本を読むのが好きで、中野中央図書館に沢山の本が並んでいるのを見て感激してしまった。
そして、自転車ではかなり時間がかかるけれどもいい天気の日(小雨がパラついているくらいがちょうどいい)に雨よけのビニール袋と大雨対策の折りたたみ傘を持ってフードつきのパーカーを羽織ってお出かけするのを楽しみにしている。
図書館で何時間も積み上げた本を読みふけっていると、どんどん妄想が育っていくのを感じ、それは至福のひと時である。
あまりハァハァしていると迷惑なので、良さそうな本を見繕っては、貸出手続きを通し、家や喫茶店でじっくりと妄想に耽溺することにしている。
おかげさまで創作がはかどるよ!
家から出かけたくない、でもネットのような雑音の多い環境も厭だ。そんなときは読書と妄想の世界に身を浸そう、雨の音を聞きながら。
- 2012/06/08(金) 11:57:50|
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