2ntブログ

ぷりみてぃぶろぐ

3Dイリュ毛の改造記事と、個人的な記録。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

醜い己を思い知らされるゲーム「刻命館」

はじめに言っておくと、ポリゴンは粗いしテクスチャはセンスないしシステムはロード地獄だしAIはお粗末だしテキストは手抜きだしで、お世辞にもプレイし易いゲームではない。
いまどきのストレスフリーなゲームに慣れていれば慣れている程、苦痛に感じることだろうから、今更こんな古いゲームをプレイしろと勧めるわけではない。
ただし、このゲームはただ悪趣味なだけでなく、プレーヤーが抱える心の醜さを浮き彫りにする点に於いてとても優れた「神ゲー」である。
続編である「影牢~刻命館真章~」などの影牢シリーズは女主人公になったり、トラップのパズル要素が強く、スプラッターな描写が強化されており、かなり別ゲーになってしまったとは思うが、続編が多くつくられたことで「刻命館」が良作であったことの証明になるかもしれないのでちょっと触れてみた。
<人殺しゲーム>が凶悪犯罪を誘発などという馬鹿げた宣伝工作によって自主規制が行われた結果、続編が出る望みはなくなったといわれている。

PS用ソフト「刻命館」のパッケージはパっと見ホラー系であったので、ホラー好きの私は激安ワゴンからそれを引っ張り出して購入し、プレイした。
そしてハマった。
3D酔いをしつつも、全エンディングを見るために躍起になった。魔力が足りなくなって詰んだら最初からやり直す程、すっかり夢中になってしまったのである。
妹といっしょになって罠を設置し続けたあの狂乱の日々は、幼い頃にジェニーちゃん人形をひんむいて魔女狩り遊びをやったのと殆ど同じ興奮に彩られていた。
違っていたのはほんの少しの道徳心。
お姫様を生かすために私たちがどれだけ努力したことか・・・私たちが見たエンディングは4つであったけれども、実際は全部で6つあるらしいので、暇人の私はニコ動で検索して、数少ないプレイ動画を見た訳だ。
実際にプレイしてみないと分からないとはいえ、実況プレイではかなり近い感覚を味わうことができる。
蘇ったあの頃の感覚を頼りに、このゲームがどのように優れていたのかをお伝えできれば幸いである。

おどろおどろしいオープニング(ほとんど詐欺)に反して、ファンタジックな世界(主人公は王子様だししょっぱなから大魔術師出てくるし)に放りこまれた私は、あっという間に実弟らの罠に嵌められ無実の罪を着せられて処刑台に立つことになる。
・・・一体何なんだ?
混乱するプレーヤーを置いてきぼりにしたまま、火炙りになる寸前で魔物に浚われ命を救われた王子は、裏切り者たちへの復讐のため、絶大なる闇の力を得るために<刻命館>へと足を踏み入れる。
突然襲い掛かってくる館主に怯む丸腰の主人公を、とある兵士が助けてくれるイベントが起こり、プレーヤーは館についてのヒントを得る。
<刻命館>の主人は闇の力を得るために人々の魂を奪っているのだ―と友の敵討ちに燃える兵士から聞かされたプレーヤーは、闇の力を横取りして正義の為に行使すべく、館の主人を倒そうとする。
問答無用で人殺しをするし、卑劣なる罠に掛けようと笑いながら待っている主人は絵に描いたような極悪人であり、悪魔の手先にしか見えない。
館の主人を罠に掛けたプレーヤーは棺桶を目の前にして突如選択を迫られる。
殺して金を奪うか、魂を抜いて闇の力に替えるかの二択・・・そして、断末魔とともに荘厳なSEが鳴り響き館主の証たる指輪を手に入れることになる。
どちらを選んでも館主は死に、主人公がその地位に成り替わる。
そして主人公の命を救った魔物が現れ、館主の資質を試されることになる・・・館に入り込んだ兵士を殺せ、と。
あの人の好い兵士を殺すなんてとんでもない、プレーヤーのほとんどは戸惑い、良心が痛むのを感じる。
闇の力を手に入れた主人公に斬りかかる兵士。
プレーヤーが選べるのは穢れた生か美しい死か、ゲームをプレイし続けるならば兵士を殺すしかない。
魔物に与えられた力で、或いは前主人が溜めた死者の魂を使って、電撃鉄格子という残虐な罠を配置し、正義感に溢れ友を想う善良な人間を誘い出し、卑劣な決意とともに閉じ込め、闇の力を吸い取り、殺すのである。
檻に囚われた絶対絶命の時、命の消える寸前、彼らは主人公に語りかけてくる。命乞いをする者もいる。
表示されるテキストは陳腐きわまりないが、しかし。
転落は早いだろう。
次々に送り込まれる刺客―その中には肝試し感覚の少女や、シロアリ(笑)や、時を超えてやってきた古の館主、魔神を封印した伝説の勇者の末裔、騙された者、病気の子を抱えた夫婦の賞金稼ぎなどもいる―を尽く葬り去り、闇の力を高めていく主人公。
闇の力が高まれば、強力な罠を開発(大金が必要)したり館を改築(面白いんだな、これが)したりとゲームプレイの幅が広がる。
「 人間狩り を行いますか? 」
魔物の囁きに抗うことができるだろうか。
更にレベルが上がれば、捕らえた人間を素材にして(殺すだけだと持ち物や金しか奪えないので生け捕りにするのが基本)モンスターを生み出すこともできるようになる。
姫の亡き骸を素材にした特別なモンスターを生み出すこともまた可能であるが、2つのエンディングを見るためには姫を生かす必要がある。
魔法と物理に割り振られたパラメータを読んで、それぞれの侵入者に対して適した罠を配置し、モンスターをけしかけて体力を削り、動きの鈍くなったところを捕まえる。これがこのゲームの基本的戦略であり、特に難しいことはない。
混乱系、ダメージ系の罠に掛った直後はフラフラになるので動きの鈍いモンスターでも避けられないとか、障害物に引っかかっている隙に罠を発動させるとか、狭い通路に誘い込んで罠で挟み打ちにするとか、習得すべきテクニックは微々たるものである。
魔力に注意しさえすれば(ベッドルームを設置すれば詰みにはならないので、姫の登場まで持ち堪えれば)クリアするのは慣れと時間の問題である。
うっかり自分が罠に嵌ったり、人間狩りといいつつ宇宙人の襲来に笑ったり、魔女っ子に萌えたり、ギャグにしか見えないトラップ(UFOキャッチャーのクレーンとかタライとか)を使ってみたり、ビフォー&アフターを気取ってみたりと散々楽しんで、気づけば終盤。
世界の命運やいかに?闇の力を手中にした主人公に選択権があるのだ。
・魔神を復活させて、世界を滅ぼしますか?
・魔神を封印しますか?
誰でもわかるように、この選択によってエンディングが変化するし、この種のゲームにありがちなように世界を滅ぼすと自分もまた死んでしまう。
終盤、畳み掛けるように明かされる陰謀の裏側・・・悪とは何なのか、死に逝く人々が残したほんのひとかけらの良心を見て、主人公が何を思ったのかは最後まで語られない。

彼らは闇に堕ちたプレーヤーに語りかけているのだ。

ここにきてようやく、プレーヤーは主人公のことを思い出す。
オープニングで裏切りに遭い、絶望し、憎しみを滾らせ、死にたくないと願った悲劇の王子―彼が主人公だ。
魔神の分身たる使い魔は、伝説の勇者の血を継ぐ王子に目を点けた。
善良で、敵国の姫に好かれ、ついには結婚によって和平を成そうとする彼は剣術など使えなかった―魔神にとって、自分に仇名すことのない、都合のいい傀儡となってくれるはずだ。
あまりにも優れた兄の陰で、姫に想いを寄せていた弟王子の心が嫉妬に歪み、和平を望まぬ派閥と結託したことに、どのようにして使い魔が唆したかは問題ではない。
どのような理由があろうと、弟や家臣たちが主人公に無実の罪を着せ、処刑しようとしたことに変わりは無いのだ。
生前―否、かつての主人公は万人に愛され、自分が正義であることに疑いを抱いていなかった筈である。
隣国との長年に渡る戦争に終止符を打ち、人々を幸福にする使命に燃えていた筈だ―そう、先祖が魔神を刻命館に封印したときのように、救世主のように盲目的な信念を抱いていた筈だ。
しかし、館の主になった主人公の顔を覚えている者はほとんどいなかった。
王子だと知っても、余計に金が得られると嬉々として刃を向ける者たちを見て、彼の絶望は深くなっていった。
面白半分に、或いは金の為に、人殺しが出来る人々を見て、和平こそが正義であり幸福であるという信念は揺らぐ。
自らの手を血に染め(グロテスクな描写は一切ない)、闇の力を蓄えるうちに、自らもまた彼らと同じように嬉々として侵入者たちを迎え撃っていなかっただろうか。
魔神を封じ、姫の命を助けたとしても、自らの罪を灌ぐことはできなかった・・・最善の道を辿ったとしても、罪滅ぼしの旅に出るエンディングにしかならないのは道理であろう。
結果として、人々の命を奪い、国を滅ぼしたのは王子自身なのだから・・・
正義である先祖の勇者を騙し、滅ぼすものの、魔神を封じられ、姫の亡き骸とともに館の主であり続けるエンディングが最も相応しいのかもしれない。
刺客たちが何か言い訳をして主人公を殺そうとするように、プレーヤーもまた彼らから身を守るためと言い訳をしていたのではなかったか。
罪滅ぼしの旅に出た主人公を見送って、プレーヤーは取り残されるだろう。
そして、途方に暮れる。
嬉々として人殺しに手を染めた己の残酷さ、醜さは、ゲームを終えたとしても決して濯がれることはないのだから。

どうして人殺しをしてはいけないのか、人を裏切ってはいけないのか。
この<人殺しゲーム>を道徳の時間に使えとは言わないが、人の心の美しさを教えるだけでなく、己の心の醜さを思い知らされることも時には必要だと私は思う。
陳腐なストーリーに説得力が出るのは、ひとえにこのゲームが面白いせいだろう。
裏切り者の末路を、人殺しの末路を疑似体験することで、悪魔に唆された者の心情が理解できてしまう。
勇者側だけでなく、一度暗黒面に堕ちてしか知ることのできないものが、確かにあるのだ。

ここからゲーム雑談。
私は“無双”系(笑)ゲームに全く興味がない。
ゲームというのはリスクを負わなければならないと考えるからだ。
相手の命も、己の命も等価であるからこそ楽しめるのだ。
だからRPGのようにレベル上げで極端に力の差が生じるゲームはやらないし、めんどいし、面白みを感じられない。
現金でレベルを買うとか、馬鹿じゃないの?と思う。
(楽しんでいるうちにレベルが上がっているのならいいけど、作業ゲーなんてやってて楽しいのか?)
攻撃を当てるテクニックよりも、避けるテクニックを要求される方が好きだ。
(パラサイトイブでレベル不足なのに最終面でセーブしたから詰んでしまったんだけど、避け力を鍛えればもしかしてクリアできるかもしれないと思うと、なかなか諦められずにがんばってプレイしたものです。)
どんな風に想像力を働かせるか、ゲームを楽しめるかどうかはその自由度にある程度依存していると思う。
KING’S FIELDシリーズではNPCを殺せるけど(やんないけど)詰んだり重要アイテムが入手できなくなったりするし、レベル上げに“モンスター殺し”が必要ないのでお互いに闘って生きたままレベルを上げ、ラスボスなど必要な戦いだけやむなく殺すなんてプレイもできちゃうから(やんないけど)、妄想するだけで楽しい。
攻撃を避けているだけで結構楽しいので、ヒット&アウェイ戦法でじわじわ追い詰めている隙に、背後を取られたり囲まれたりして死ぬのもまた楽しい。
SIRENとかCLOCK TOWERとか、ろくに反撃できないからすぐ死ぬ。だが、それがいい。
死んで覚えていく、攻略していくゲームを<死にゲー>と言ったりする。
私にはマシンガンなんて使えないし、ナイフも無理だろう。
せいぜい自分の肉体か包丁や縄や鈍器なら使えるかもしれないが・・・という具合なので、どれだけ貧弱かもよくわかっているし、ゾンビを撃ち殺すなんて柄じゃないのだ。
バイオは初代しか無理っす・・・高度なガンシューテクニックを要求しないでおくれー。
勇者からは逃げられない!とかバトルレイ○ーとかを自力でクリアすることはできないだろう。
人はヒトである前にケダモノである。
弱い者を弄ぶのは強者のお遊びに過ぎないかもしれないが、弱者とて、命の危機を感じれば反撃ぐらいできるのだと肝に銘じておかねばならない。
ただ、おじさんの遺品分けでもらったポケモン金やっててモンスターを育ててたのに殺されたときの悲しみといったらもうね・・・ごめんよごめんよと泣いて謝りましたよ。
ゲームの素養がないので、あんまり最近のゲームは知らないけど残酷ゲーが好きってワケじゃないので安心してください。ほんと「刻命館」サマサマだと思うですよ。
犯罪ルポとかは<社会科学・社会病理>というカテゴリらしいです。凌辱本を描きながら、人の心の闇を探求する・・・うーん、なんだかこの日常、マーベラスですな~。
  1. 2012/06/06(水) 23:30:40|
  2. 雑記
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:0

コメント

<%template_post\comment>


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://ganou.blog.2nt.com/tb.php/45-b5188474
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

まとめtyaiました【醜い己を思い知らされるゲーム「刻命館」】

はじめに言っておくと、ポリゴンは粗いしテクスチャはセンスないしシステムはロード地獄だしAIはお粗末だしテキストは手抜きだしで、お世辞にもプレイし易いゲームではない。いまど
  1. 2012/06/09(土) 06:39:30 |
  2. まとめwoネタ速neo