そもそも、801という言葉を「あさりちゃん」を読んで知るという時点で色々と間違っているのだけれども。
作中の説明によればそれは、「や」まなし、「お」ちなし、「い」みなし の頭文字を繋げてやおい→801と云うというもので、ギリシャ神話風な神々が唇を寄せ合って微笑んでいるという絵をもってしても、初めは呑み込めないものであったということは言うまでもない。
なにそれ、おいしいの?
純な子供という訳ではなかったが、ごくノーマルな性的嗜好をもっていた私にとって、男と男が絡んでいる絵というのはどれだけ美麗に描かれていようとも「キショい」以上のものには思えず、ただそれは知識として蓄えられたあの当時、世のお父さんお母さんたちはまさか小学生向けのギャグ漫画で子供がそんな知識を得るなどとは思いもしなかったんだろうと室山まゆみの業の深さを改めて感じたりもするのだが。
本人がごくノーマルだと思っていた知識というのも、まだまだ「成熟した肉体の男と女が裸で寝床を共にすれば即ち子作りの行為を指す」という保健体育の回答としても幼く可愛らしいものであった。
それはそれとして。
キャプテン翼や聖闘士聖矢などがその当時の流行であったらしい801についての話を続けよう。
801とは、作者の思惑を超えて、作中の描写から友情や敵対心を恋愛感情にすり替えた思い込みによってその手の同好会が仲間内でキャーキャー騒ぎながら紡ぎ出した妄想絵物語のことを云い、無理矢理こじつけられた登場人物たちの絡みはそれぞれ内容に大差なく下らないエロ漫画やエロ小説であり、そういった同好会はオタクな女性たちによって作られている為だかコロンブスの卵だかどうかはさておき、男同士が突っ込んだり突っ込まれたりするファンタジーであったそうだ。
黎明期はおそらく相当ぶっ飛んだ内容であったと想像に難くないソレを読んだことが無いというのは僥倖であろう。
(今では男性向けエロ漫画と大差ない内容になっているものの、たまにとんでもない代物に出会ってしまうことはあるものだ。いや、言動や理屈もそうだけれども人体の構造的に、ね。)
全く理解し難いことに、そういったおかしな嗜好を抱いた女性陣の殆どはノーマルな嗜好であった為、描かれる男同士の恋愛というものは男女間の恋愛というものを単純に置き換えたものが多く、いわゆる女役(ネコ、突っ込まれる方)が女性の役割を与えられ、原作とは似ても似つかない言動を取ったり、妙に女々しかったりするのが常であったし、どちらが女役であるかというのが重要視され、その手の即売会で隣り合う同好会間でその食い違いがカップリング論争を引き起こしたのである。
他人の嗜好に口出すお節介な人間は、本当に暇だなとしか思えないので、そういった布教に躍起になる彼女たちは私にとって得体の知れない妖怪のような存在だったなどと口を滑らせれば、非難轟々、すぐさまコミュニティから排斥されてしまっただろうから、中学生時代以降、同人活動から身を引いていたというのは結果的に良かったのかもしれない。
とはいえ、美術部に在籍していた二年弱の間に引きずられるようにして入ったその通信制コミュニティは「よろずサークル」というカテゴリであり、無駄な闘争は無かったように思う。
場違いではあったものの、素人にしては綺麗なイラストが並べられたその小冊子の片隅に自分の雑な絵が紛れているというのは嬉しかったり悔しかったりと複雑な気分で、それでいて解散まで執着したのは彼の華やかなりし世界の端くれに引っかかっていたいという願望があったのだろう。
黒歴史、とはターンエー用語が世に広まったものであるけれども、今では「思春期にやらかしてしまった忘れたい過去」のように認識されているだろう、私にとっての黒歴史についても少しだけ触れてみようとするならば、避けて通れないのがこのサークル活動であった。
手紙で為替や切手をやり取りしたり、Faxで絵手紙の文通をしてみたり、ペーパーや便箋の発行をしてみたり、印刷所なるものを利用してみようと思いついたり、一言で記せば他愛無いことかもしれない。作中の謎に関する論争だとか、小冊子の表紙を描かせろと談判してみたり、金銭の授受、文化祭でのプラモ展示、本人の前でポスターの出来栄えを批評、友人の兄の秘蔵ビデオとビデオデッキの破壊、などなど枚挙に暇の無い出来事は未だ封印されることなく、部屋の一角に積み上げられている。だからこれは本当の意味では黒歴史にもなっていない、ただの痛々しい思い出であるのだろう。
いずれにせよ、801に手を出すということはなかったが、成人向けのコンテンツであったその一部に触れる切っ掛けとなったのが当時流行していたエヴァであった。
アンソロジーというものは内容も良く分かっていない店員が原作の側に配置したりして、購入後にトラブルとなったと聞いたことはあるが、うっかり購入してしまった子供にとって、後ろめたい気持ちを抱かせ、秘密裏に処分されるかその世界に引きずり込まれるかの選択を迫られたであろう。
うっかり組の一員であった私は、数多発行されていたその世界に引き込まれ、男性向けの成人コンテンツさえも(店員に年齢確認されることなく)入手し、生唾を飲みながらページを繰っていたことが今でも生々しく思い出され、人間年をとるだけでは成長しないなと苦笑いをするしかない。
おそらくは、女性向け成人コンテンツ(本番ありの801)を初めて読んだのはエヴァだろう。
うっかり買ってしまったそれの意味が分からず、「あー、そういうのもあるのね」と読んでそのまま放置していたソレを、たまたま遊びに来ていた妹の友人に見せたのは悪気があった訳ではない。CLAMP(今ではそっち方面御用達だと知っているが、当時はそう認識していなかった同人上がりの作家グループ)のCombinationというハードボイルドっぽい刑事漫画がとても801っぽいと興奮していた彼女に、それと察したのは間違いではなかったが、如何せんその道の理解が足りないせいでいきなり成人向けコンテンツを手渡す、という暴挙に及んでしまったのは不用意だった。申し訳ない。
つまり、彼女のいうところの801っぽいのがいいというのは、思わせぶりな友情が描かれる作品を読んで妄想に浸りたい、ということであって、他人の妄想を読みたいのではないということだったのだ。
ヴィジュアル系バンドの、メンバー同士の絡みがいいとか、つまりそういうこと。キャーキャーとはしゃいで楽しむそれは、健康的なことなのだと私は気がつかないでいた。
私はずっと妄想の中で生きている。
けれどその妄想というのは、801ではなく、ハーレクインでもなく、父親の持っていたナントカ書院のようなえげつない肉と血と妄執のような滾りであり、他の何かに転化できない己自身の性欲が生み出すべたべたした磯臭いソレだった筈なのだけれども、どれだけ健全な作品でも、どんな意味合いの興奮であっても、何もかも性欲と繋げてしまう己を知ったのはいつだったか。
例えば「真っ赤な誓い」や「Stand Up To The Victry」を歌い叫ぶ興奮というのが結果的に肉体に及ぼす影響として「夜勤病棟」をプレイした時の興奮と似たようなものであったとしても、生まれた感情は違った筈なのだが、結果から導き出す答えは同じになってしまわないだろうか。
肉体に支配される精神だとか、小難しい話をするわけではないが、日々蓄積される欲求不満が転化され801のような歪なモノを生んでいるのだとするならば、彼女たちが普通に振る舞い、子作りをしている現実を見るにつけ、何ともいえない気分になる。
おそらくは、彼女たちにとって妄想や自身の欲求というものは社会生活と切り離せる類のものなのだろう。理解はできないが、数年前にサイゼリアでピザを食べながら別れた彼氏の話をしたその口で「アスキラ」トークを始めた某友人に相対してからそう思うようになった。
紙の上に、今ではネットワーク上のデータとして吐き出されるその劣情は801という形であるかもしれなけれども、顔も知らない(顔を合わせたとしても碌に覚えていない)彼女たちの熱をそこから感じ取ることができたとき、その妄想を読む行為に快感を覚えるようになったというのがより歪な私という人間の801の楽しみ方だと、面と向かっては云いだせないだろうからここに(殆どの人が顧みることのないだろうここに)記しておきたい。
私は本当の801を知らない。
それらを生み出す彼女たちの向こうに垣間見るだけだ。その距離は、絶望的な程遠いように思える。私の思慕は届くまい。こんなところに書き捨てるのも未練であり、感傷であり、それ以上でもそれ以下でもなく、何より私は成就を望んでいないから。
小学生時代から中学生時代にかけて、私が一番執着していた人(初恋の人ともいう)は桂大先生の「D・N・A 2」を読むような人であったからかもしれないが、これだけ801に詳しくなった今でもその世界に耽溺できないでいる私は往生際が悪いわけではないのだ、という言い訳だということにして今回は〆とさせていただきたい。
エッチな少年漫画を読むたびに、きっと私は彼女の向こうにその作品を見ているのかもしれない。転校生だった彼女が再び引っ越した後の足跡を知らない。繋がりはとうに断たれていたとしても、成就しない思いを胸に、死への道を一人ぼっちで歩いていくことしか私にはできないのだ。
まったく・・・未練がましいことこの上ない。
- 2012/01/09(月) 17:58:09|
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